こんにちは、うどんです。
最近読んだ小説、辻村深月さんの「朝が来る」は、間違いなく子育て小説でした。
でも、なんだかそんな軽々しく、「子育て小説」なんてくくりでまとめてしまってはいけないような、とっても深いものでした。
テレビドラマとして放送もされたので、知っている人もいるかもしれません。
すごーく深くて、まだ自分の気持ちも整理しきれていませんが、レビューしてしまいます。
あ、そしてめちゃくちゃネタバレしてます!ご注意ください。
主人公、佐都子の視点
最初のトラブルは子育てママみんなが共感できる
一番はじめに、主人公の佐都子が巻き込まれるトラブルは、子育てママなら誰でも理解できて、多くの人が「あったらヤダな〜」と思うであろうものです。
幼稚園で、自分の子ども(6歳)がおともだちをケガさせてしまう、加害者側になってしまう、というトラブルです。
保育園でも低年齢のクラスで、押した、噛まれた、といったトラブルはありますが、ほとんどの場合、お互いの名前は知らされることはありません。
佐都子の場合は、相手についても知らされるし、しかも同じマンションの、一番仲のよいおともだちなのです。
そして「やっていない」と言う息子。
佐都子は、息子のいうことを全面的に信じます。
相手のお母さんに罵られようと、ご近所に言いふらされようと、息子を信じる気持ちを曲げることはありません。
この時点で、佐都子さんには敬意しかありません。
自分が同じ立場になって、そこまで子どもを信じられるのか、自信はないです。
相手のお母さんにしても同じです。
結局あとで、佐都子に謝ることになるのですが、子どもが自白するまで、決して自分の息子の言うことを疑わずに、態度を曲げません。
自分の子どもを信じることって、ものすごく大変なことで、親同士が険悪になるのも必須なのです。
そして、最終的にこのトラブルは解決して、親子ともに仲直りできてハッピーエンド、なはずなのですが、
ここで、本当のトラブルが起こります。
このトラブルの内容がこの話の肝です。なるべくネタバレを避けたい人はここまでにしておいたほうがいいかもしれません。
トラブルの詳細
不審な電話があり、「子どもを返せ、それが無理なら金を出せ、さもないと、子どもが実の子でないことを周りにバラすぞ」という内容です。
そして、電話の主、つまり子どもの実の母親である「ひかり」と、夫婦による話し合いの場がもたれ、夫婦は、「あなたは子どものお母さんではない」と結論づけます。
その後1カ月がすぎた頃に、ひかりの行方について調べるために警察が佐都子の家を訪ねてきます。
なんとなく望んでいた妊娠、から、不妊治療にいたるまで
次の章では、佐都子が不妊治療にいたるまでの心の移り変わりが丁寧に描かれています。
バリバリ働く佐都子夫婦にとって、子どもも「いつか自然にできたらいい」存在だったのですが、
佐都子の母からの電話によって、35歳という年齢を意識したことによって、不妊治療へと進んでいきます。
実は、私うどんは不妊治療の経験はありません。
でも、最近は周りでもやってる方、ずっと長い間治療してた、という方けっこう多いですよね。
今でこそ子育てママたちとは、「子育て、大変だよね~」と共感できるけど、不妊治療の経験のあるなしは、言ってても言ってなくても、かなり気を使います。
「自分が経験してない」からこそ、不用意な発言で相手を傷つけるようなことはしたくないのです。
だからこそ、不妊治療がどのようなものか、具体的な治療内容や、それが物理的に心理的に、経済的に時間的に、いかに負担がかかるのか、ということを知りたい、という気持ちがあります。
おそらく、不妊治療は、「なんとなく自然にできればいい」のときとは、くらべものにならないくらい、「子どもが欲しい」という希望を、はっきりさせないといけない、覚悟を決めなければいけないものなのだと思っています。
その気持ちの移り変わりを佐都子夫婦の目線で体験するという意味でも、とても大事な章でした。
聞いたことしかなかった特別養子縁組
特別養子縁組制度も、不妊治療と同じく「聞いたことがある」だけのものです。
そして、佐都子夫婦がたまたまテレビで見たという、特別養子縁組を支援するNPO団体のように、その支援の方法も、団体によって違うのだ、ということを知りました。
ちなみに、本作で出てくるNPO団体「ベビーバトン」は、実在する「Babyぽけっと」という団体に酷似しているそうです。
また、かつて「Babyぽけっと」がTVでドキュメンタリーとして取り上げられた番組内容がそのまま本作で描かれているにもかかわらず、作者が団体に対して取材依頼をしたことはなく、そのことが問題となったことがあります。
しかし、そういった前情報なしに本作を読んだ身としては、作者は「取材を怠った」のではなく、「意図的に取材を行わなかった」のではないか、との推測もしています。
そのことについては、後述します。
できることなら、酷似しているというドキュメンタリー番組も見てみたいですね。
さて、このベビーバトンの特別養子縁組制度はいろいろ驚かされることがありました。
赤ちゃんを産むお母さんは、赤ちゃんを産む数カ月前から寮に入って、出産に臨むことにだけ専念できます。
そのときの費用なども赤ちゃんを受け入れる側の夫婦が負担します。
そして、養子として受け入れた子に対しては、必ず「真実告知」を行うこととされています。
なので、子どもは自分が養子であることを知っていて、他にお母さんがいることも知っています。
さらに、佐都子夫婦の場合は、周囲の人にも養子であることを伝えています。
これって、ものすごいことだなあ、と思いました。
真実告知については、おなじみフローレンスさんでも記事になっています。
真実告知以外にも、受け入れ側には様々な制約がついてきます。
これは、ベビーバトンならではのものなのか、実在するいくつかの特別養子縁組支援団体の決まりごとなのかは調べてみないとわかりませんが。
いつか調べてみたいですね。
特別養子縁組で受け入れる側の夫婦、家族の思いは、ちょっと言葉では語れません。
それが文章になっていること自体がすごいことです。
佐都子夫婦が出席した説明会の場面は、本当に何度も泣きそうになりました。
そして、佐都子夫婦が実際に赤ちゃんを手にした日のこと、稀なケースとして、赤ちゃんの産みの親であるひかりとその家族と話したことが描かれます。
赤ちゃん、のちに朝斗と名付けられる子を手にして、初めて「やっと朝が来た」と感じた佐都子の感覚。
これは、実際に子どもを産んで、赤ちゃんを家に連れて帰ってきたあと、私が何度も味わった感覚と同じかもしれません。
「赤ちゃんが家にいる」ことに慣れずに、目が覚めるたびに、確かめて、
そしてふにゃふにゃのかわいい息子を見ては、「神様、我が家にこんなかわいい子を連れてきてくれて、本当にありがとう!」と思っていたものです。
(その何倍もの時間、授乳だの夜泣きだので、つらい気持ちも味わっていましたが…)
なんか、「赤ちゃんを授かる」って、そういう意味ではお腹を痛めることが一番重要なんじゃなくて、「赤ちゃんに会いたい、家族になってほしい」って気持ちの方がずっと重要なんだろうな、と。
そこでは、養子だからって、「我が子」に対する思いや姿勢は変わらないのだろうと、なんか腑に落ちました。
もちろん、赤ちゃんを産む側のお母さんにとっては、それは命がけなので、出産も特別なことではあるのですが。
そして、ここから、ひかりの視点へとうつります。
もう一人の主人公、ひかりの視点
中学生のひかりの気持ちに共感できすぎる
中学生のひかりは、真面目すぎる家族に不満を感じていて、同学年の中でもかっこよくて目立つ存在の男子に告白され、めちゃくちゃ舞い上がります。
真面目な家族がイヤ、とか、母親とも本音で語り合わない、というのは、前に出てきている佐都子だって同じだったはずです。
自分自身を思い返してみても、ひかりの気持ちはめちゃくちゃわかります。
そして、かっこいい彼氏、巧と簡単にエッチもしてしまいます。
そして、ひかりの初潮がまだ来ていないことをいいことに、ろくな避妊もしません。
ひかりは、実際、性に関する情報をたくさん読んでいるのですが、まったく当事者意識を持たないまま、「周りより一足早く大人」な自分に酔いしれています。
こんな風に、無知な子どもが実はものすごい危険にさらされているなんてこと、たくさんあると思います。
ひかりのように、普段は無菌状態の家で育っていると余計にでしょうね。
そして、体調不良で内科を受診したことをきっかけに妊娠が発覚し、その時点ですでに23週、すなわち中絶手術が可能なタイミングを過ぎてしまっていたのです。
「元通り」には戻れないのか
中絶していれば、ひかりは「元通り」の生活に戻れていたのかもしれません。
これは、正直わかりませんが。
ただ、ひかりは子どもを出産することが決まっていて、家族とろくに会話もしない間に、なんとなく子どもを家で育てて、いずれ巧と結婚したら一緒に育てていきたい、とまで考えています。
特別養子縁組で進めることを家族から告げられて、拒絶反応を示すくらいです。
中学生ながらに、赤ちゃんのことを大切に思っている心が、母親心にぐっときます。
しかし、最終的に自分ではどうしようもできないこともわかっているひかりは特別養子縁組を受入いて、出産する母親たちが集まる、広島の寮へと一人向かいます。
そこで、今まで出会ったことのないタイプの女の子たちと知り合い、ともに生活し、出産を迎えます。
この寮での生活が、ひかりにはものすごく影響を与えることになります。
そして、ひかりは出産を終えて、しばらくは自宅で静養したあと学校に、いわゆる日常に戻ります。
戻るはずでした。
でも、戻れないんですね。さすがに。
それはそうですよ。自分の人生の中で、出産をなかったことにするなんて、しかも一番多感な時期の中学生がその経験を忘れるなんてできるはずがなかったんです。
その後、ひかりは少しずつ「期待されるひかりちゃん」から外れていきます。
高校生の頃には、家出をして、広島の寮まで行くものの、ベビーバトンでお世話になった代表の浅見にも最後まで面倒を見てもらうわけにはいかずに、少しずつ社会の下の方へ進んでいきます。
ほんと読んでいてつらい部分で、読み進めるごとに、「なんでこんなことになっちゃったんだ?」という気持ちになります。
ちょっと前まで、自分よりも幼稚でださかったお姉ちゃんが、関西の大学に行きだしてから、とってもおしゃれで素敵な女性になっているのを見せつけられるあたり、もうリアルすぎて泣きそうです。
ひかり的に、落ちきったかも、という少し前に、お金の無心のために、佐都子夫婦に連絡を取ります。
結局、ひかりは何も思い通りにならずに、ひかり本人であることも認められずに、その場を去るのですが、
最終的に、もうダメ、というところで、佐都子と朝斗に救われます。
そこで物語はおしまい、やっとひかりにも朝が来た、という終わり方です。
思うこと
親が子どもにできることってなんだ
あくまで、「子育て小説」という目線で、物語を読むと、
ひかりの母親にはとても腹が立ちます。
妊娠がわかった段階で、出産するって決まった段階で、なんでもっとひかりに寄り添ってあげられなかったんだ、とも思います。
でも、本当に子どもをわかってあげられる親って、そんなにいるもんでもないですよね。
ひかりに起こった出来事は、割とどの家庭にも起こりうることではないか、とさえ考えました。
親以外が救ってあげるためには
では、だれがひかりを救うことができたのか。
物語は、佐都子と朝斗に救われますが、これはとてもラッキーなケースです。
一番の有力候補は、やはり赤ちゃんの受け渡しを担ってくれたベビーバトン、です。
実際、ひかりも家出して最初はベビーバトンを、浅見を頼ります。
浅見も、イレギュラーなケースとしてひかりを受け入れますが、
ベビーバトンはもうなくなることが決まっていて、ひかりをずっと受け入れるわけにもいかない、と告げられます。
浅見は、ひかりの就職先まで探してくれますが、ずっとそばにいてくれるわけではありません。
本当は浅見には、ひかりを新聞配達員として紹介したなら、もう少しこまめに連絡をしてあげてほしかった。
欲をいえば、広島で就職先をあっせんするだけでなく、もっと彼女の未来を一緒に考えてあげてほしかった。
特別養子縁組を支援する団体が、赤ちゃんを産んだ女性をずっと支援し続けてくれるわけではないのです。
この事実は、けっこう重い問題だなあと思いました。
望まない妊娠をした女性が、妊娠出産したあと、平穏に暮らしている可能性って、ものすごく低いような気がします。
ましてや、ひかりのような中学生のケースだと、本当はものすごくケアが必要なはずなのに、「親がいるから大丈夫」と見過ごされてしまいそうです。
そういう意味では、特別養子縁組支援のNPO団体、すでに行っている事業そのものは素晴らしいけれど、さらなる機能、子どもを育てられない環境にいる女性たちへの支援、という仕組みも求められるのではないかと思いました。
もちろん、ソーシャルワーカーや心理カウンセラーなど、他の支援者への橋渡しという形でも構わないのかもしれません。
今回の物語では、ベビーバトンはそういった役割を果たせなかった団体、と個人的にはとらえてしまいました。
ちなみに、『作者がBabyぽけっとに対して正式な取材は行っていない問題』を上で取り上げましたが、このように団体を描いているために、あえてベビーバトンは「Babyぽけっと」を参考にした、と明言されていないのではないかと思いました。
制度や実態などは、「Babyぽけっと」さんやそのドキュメンタリー番組を大いに参考にされたのかもしれません。
他の団体の制度だけでは、今回の物語は描けなかったのかもしれません。
また、ひかりが勝手に朝斗の引き受け先である佐都子たちの情報を簡単に浅見の部屋から盗み見してしまうあたり、特別養子縁組を行う団体としては、個人情報の管理がずさん過ぎます。
団体としては、「ん?」となってしまう部分が、物語を成立するうえではどうしても必要なので、あえて「Babyぽけっと」を参考にしたとも明記せず、了承を得ることもなく、あくまで架空の団体として「ベビーバトン」を作ったのかな、と。
まあ、あくまで推測です。
まとめ
ダラダラと長いレビューと、かなりのネタバレ内容になってしまいました。
この物語を読んで、レビューを書きながら、少しずつ内容を消化しているけど、まだ消化しきれていないのが事実です。
子どもを育てる親になって、我が子だけでなく、世の中の子どもたちが幸せに、つらい目に遭うことなく過ごしてほしいと願うようになりました。
特別養子縁組がもっとひろがって、より幸せになれる子どもたちが増えればいいという思いはあります。
そんな自分にとって、
不妊治療のことも、特別養子縁組はじめ、養子制度のことも、まだまだ理解できていないことがたくさんあって、
それらの制度にもまだまだ足りない部分があるのではないか、というのが今回の気付きです。
まだまだ気づけていないことたくさんあると思います。
ぜひコメントなどいただければ参考にさせていただきたいです。
最後まで読んでいただいて、本当に本当にありがとうございます。